最近は、自分のやりたいことって何だろう…とか、これやったら不幸になるんじゃないか…とか、そんなことぐちゃぐちゃ考えてないで「私は何やっても幸せにしかならない!」って決めちゃえばいいんじゃん、と思っている。
そうすれば、何が起きようとも幸せになるって決まってるから動じなくなる。二択で迷ったとしても、どっちにしろ幸せになるならどっちのほうがいいんだ?って考えるから、本当の望みの方を選ぶと思う。何やっても幸せにしかならないから別に何やったっていいんじゃん、となり気楽になる。色々なことを経験したくなり、失敗は失敗でなくなる。何故なら、結局上手くいっちゃうから。
そしてこれは全部、自分で自分を心の底から信じているってことなんではないかと思い至る。
私は宮沢賢治が大好きなんだが、銀河鉄道の夜のこの言葉が昔から心に引っ掛かっていた。
「何が幸せかわからないです。正しい道を進む中の出来事なら峠の上り下りもみんな本当の幸せに近づく一足づつですから。」
本当にそうだ、と思うと同時にその幸せのわからなさにもやもやするものを感じていた。
でも、なんかもやが晴れてきた気がする。幸せなんてないのかもしれない。全部幸せだから。それをはっきり分かりたくて不幸せを作っているけれど、実はそれさえ幸せの一部。
でも、賢治さんに意見を述べるならば、峠の上り下りの道のり自体が、近づくための途中ではなく本当の幸せそのものなんだと思う。
ネイティブアメリカンの言葉にあったように、道とは進むためのものではなく、味わい尽くすためのもの。スタートとゴールがあるんじゃなくて、ただ在るためのもの。
賢治さんの言う、本当の幸せってなんだったんだろう。まぁ色んな研究はされてるだろうけど、羅須地人協会のあの椅子に座って、賢治さんにゆっくりと話を聞いてみたいものだ。
私の感じる本当の幸せっていうのは、自分が自分でなくなることかなぁと思う。
またつらつら書いちゃったなぁ。まあいいか。