平凡日誌

Webショップ「平凡」店主の日々の記録です。

光が綺麗

ついに、葛飾応為さんの絵を観ることができた!

原宿という立地だからか、平日にもかかわらずすごい人。外国人が多い。平日の原宿表参道ってこんなんだったっけ…と思いながら。

しかし、応為さんの絵はすごかった。思いの外小さかったけど、その小さな画面にギューーーッといろいろなものが詰まっている絵だった。光と闇、楽しさと哀しさ、冷たさと温かさ、愛と憎しみ、そういう両極の間に立って、優しく愛に溢れた目でその両極を観て、その中で生きている人間の姿を描いていると感じた。

光の中の鮮やかな色と、闇の中の影のグラデーション。柵に寄り掛かった男の黒く柔らかい後ろ姿と、大きな行灯で照らし出された遊女達の華やかさと、その行灯から立ち上がる炎の揺らぎと、子供が持つ小さな提灯がぼんやり照らす地面。

なんて優しい人なんだろう、と思った。他の作家の肉筆画は主に人を描いているんだけど、人がいる空間の空気を描いているのが本当にすごい。画面の中全てに物語があって、それを静かに静かに観ている。そのじわじわとしたはっきりとしない儚い夢のような表現が、きっと応為さんの在り方そのものだったんじゃないかなぁと思い、ますます好きになる。

ポスターを買ったので、額に入れて飾ろう。毎日観ることができるなんて、嬉しい。

そして朝は私の大好きなご飯屋さんに開店と同時に行ったのだが、店に入り誰もいないなぁと思ったら、座敷に店のおばちゃんが仰向けになって棒のようにすやすや寝ていた。ちょっと死んでるかもしれないぐらい真っ直ぐだった。あぁなんて自由でありのままなんだろうと、とても幸せになった。そのおばちゃんは、話し掛けに全く嘘がない。接客ということではなく、ただ気になったから話しているだけ。やっぱりこのお店は大好きだなぁと改めて思う。店が開いているうちに、何回でも来ようと決めた。

秋晴れ

謎に一昨日のブログがすごい見られてたんだけど、なんなんだろう。いつも2、3人だからびっくりして、あんなこと書かなくてよかったな~とか無駄に体裁を考えたりする。

今日思ったのは、私の生活、蕎麦屋があれば他は結構いらないかも、ということ。

東京のとある老舗の蕎麦屋に先日行き、いつも16時ぐらいの暇な時間に行ってるのにランチタイムど真ん中に行ったら、めちゃくちゃ行列だった。びっくりした。観光客いっぱいだった。カオスだった。

しかし、もう私はそこでの自分の過ごし方を見つけているので、迷わず日本酒とつまみを頼み、そば味噌とつまみと日本酒でちびちびやりながら〆にもり蕎麦をすする。昼だから長居はせずに、蕎麦湯でつゆを飲み干して、ごちそうさまでした。

(ここで、昼時に酒とつまみなんてマナー違反だとか、そういう蕎麦屋で過ごす皆のルール的なものがあるのかないのかは知らんけど、そんなものは知らん)

店内は夕方とは全く違う雰囲気で、てんやわんやのガヤガヤなんだけど、私に迷いはないので何にも影響されずに過ごすことができた。

型があるってすごいことなのかも。きっとあの中で想定外の出来事が起こったとしても、動じずに対応できる自信がある。

その型っていうのは、人に言われてただやっていることではなく、自分の内とズレのないものでないと効果がないんだと思う。それってきっと、茶道とかの型を体に染み込ませて行くことと同じな気がする。

でもそれは一回で決まるものではなくて、失敗したり空回りしたりしながら見つけていくもの。

そんな型を見つけて過ごす時間というのは、自分があるような無いような、店の喧騒と一体になってしまったような、そんな不思議な心地よさがある。そして、私だけの過ごし方の型を見つける間もお店が在り続けていることへの奇跡と感謝。

私は、そこに店員さんとの絡みが入っちゃうと二度と行けなくなるタイプなので、大衆的な店は私に構わず過ごさせてくれるから、とてもありがたい。こういうタイプは少数派なのか、そういう客にいい意味で無関心な店がどんどんなくなっていってるのは悲しいが、東京の古い店はそういう空気がまだあるから心地よい。

が、しかし、やはり江戸の蕎麦屋は17時前に入って一杯やるのが最高の過ごし方だ。酒が目当てのお年寄りに囲まれ、ほんのり酔ってきた体に入るそばの喉ごしの気持ちよさよ!染みわたる蕎麦湯よ!日本人でよかった~

急に寒い

昨日思ったこと。

自分自身の過去のことや未来のことや、身の回りの過去や未来や、スマホから流れてくる誰かのことや社会のこと。その他諸々のあーだこーだ。

それら全部をシャットアウトして、今、ただここにいる今の自分だけを考えた時に、幸せしかないということに気が付く。

油断するとあっという間に手からすり抜けて空へ飛んでいっちゃう風船みたいな危うい感覚だけど、そうだな、と思った。

今、ここにいる私は、私の世界はとても平和だ。何も問題はない。不安は過去や未来と紐付いていて、何とも紐付けなければ結局今しかない。自由だ。

空に飛んでいっちゃう風船は、私自身なのか。むしろ、握りしめていた手をパッと開いて、風船を自由にすることの方が大切なのかもしれない。

名前を持たないということもきっと同じことだな。

たまたまYouTubeに出てきて、面白そうだなと思ったやつ。ヘンテコで面白いな。

洗濯日和

朝一で免許更新に行った。働いている警察官含め二番目に警察署に到着。一般人としては一番乗り。しかし、うっかりして受付は三番目。まるで昼時のラーメン屋のようにテンポよく事は進み、新しい免許証を授かる。

驚愕。父親そっくり。

やばい。このままだと私おじいちゃんになってしまう。現時点では、せめて女ではあり続けたいと思っているんだけど。

そして、有効期限が2028年というのを見て、とんだ未来に来てしまったなぁ…と思う。五年後なんだけど、数字だけ見るとすごい未来感がある。五年後の世界と私はいったいどうなってるんだろうか。

今日も秋晴れ

仕事中にふと、誰かの評価を気にしてやる仕事っていうのはずれているなぁ、と思った。

誰かを意識するにしても、よく思われるか、褒められるかではなくて、喜んでもらえるかという気持ちで。

しかし、他人の本当の気持ちなんて分からないから、結局は自分が納得できるかどうかしか大事じゃない。

評価されるため、褒められるための行動はとても脆い。そうされたい相手次第で自分が簡単に落ちもするし上がりもするけど、あんた、自分の今の行動を本当にそうしたいと思ってしているのか?と問いかけると、そうしている人達は何も疑問を持っていないんだろうな。

よく思われたいがために、聞くことや言うこともできなかったりしてさ。自分で動かずに、関わらずに、なんとなーく解決すると思ってるんだろうか。溜まっていくだけなのに。そういう場所には、ぬるっとしたものが漂ってる感じがする。

最近、本当に心が動いたもの以外は買わないようにしようと決めて世界を見てみたら、これいいよ、おしゃれだよ、素敵に見えるよ、人気だよ、持ってたら良く思われるよ、というような空気を持った宣伝広告に溢れてるなぁと思った。

簡単にそのメッセージを自分の気持ちだと勘違いしてしまっていたなぁ。でも結局、使うのはボロボロのいつものやつだったりするんだよね。

 

またいつものとりとめのない考え事でした。