自分が「好き」と思っていたものの中に、なんか知らんけど無性に好き、というものと、実は他人の感覚を自分の好きにすり替えてた好き、というものの二種類あることに、昨日気付いた。
地味に、衝撃。
私にとって「好き」なはずの、七割ぐらいは自分のものじゃなかった。
本当の好きは、言葉にできないし自分でも理由が分からないものだった。嘘の好きは、色んな理由をつけて言葉にしようとしてた。
宮沢賢治も、仏像も、江戸も、奈良も、山新の足袋スニーカーも、ボブ・ロスも、全部理由はない。説明できないし知識もない。でも一ミリの隙もなく、まるで元から体内にセットされていたように、好きなのだ。
自分じゃない好きは、誰かの共感が欲しかったりするかも。欲。OMG。
自分じゃないものはどんどん落としていこう。埋もれて忘れてる好き、たくさんありそう。