平凡日誌

Webショップ「平凡」店主の日々の記録です。

洗濯日和

昨日一昨日と、東京に行ってきた。目的地はとある蕎麦屋ととある飯屋で、それ以外は特に何も決めていない。ひたすら気が向いた方へ歩く、歩く。

最初に向かった神保町で草双紙専門の店を発見。入ると天井まで積まれた草双紙の山!静かに興奮しつつ、何百年と経っている本がずらっと裸で並んでいるだけなのでどうしたらいいのか分からず、店員さんに聞くと自由に開いて見ていいと言う!最低でも八千円ほどから、十万円以上の値がついた本まで澄まし顔でこっちを見ている!触ると今にもホロホロと砂になってしまいそうな本をそっと手に取り、開くと、版画の凸凹も鮮やかな色彩も虫喰の穴も目の前に広がる。なんという幸せ。南総里見八犬伝全巻セット!なんてものもあって、まるでBOOK・OFFだわ…と思いながら、現世のBOOK・OFFとは桁が違いすぎて何も手に入れることはできなかったが、実際の草双紙に触れることができた奇跡に興奮。

その翌日には青山霊園に眠る岡本綺堂さんのお墓にご挨拶しに行き、その帰り道偶然滝沢馬琴終焉の地(看板があるだけで現在は日高屋)を見つけた。ご縁を感じたので南総里見八犬伝の現代語訳版を読み始めたが面白い!約30年かけて連載されたということで、江戸の本は正月に一度に発売される方式だったから、まるで男はつらいよじゃないか。寅さんは一話完結だけど、一年間次の話を待つということを考えると、それだけで江戸時代の時間の感覚が理解できる気がする。

あぁいつかは黄表紙を手に入れて、じっくり読解しながら読みたいなぁ…鞄から草双紙を出して読む人なんて、なかなかいなくて面白いよね。そんな旅から家路につくと、あそこも行けばよかったなぁとか思うんだけど、地味~な偶然の繋がりや、感覚を開かないと気が付けない静かな喜びがある江戸ぶらり旅は、やればやるほど癖になる。あてもなくさ迷い歩いて、今いったい何処にいるのだと道端の地図を見なかったら、馬琴さん終焉の地に行くことなんて一生なかっただろうし。

今日は一日、南総里見八犬伝を読むことにする。