平凡日誌

Webショップ「平凡」店主の日々の記録です。

いい天気

最近分かったこと。

なんか色々と、あれやりたい、これやりたい、何かやらなきゃ、自由になりたい、私ってなに、ああなりたい、こうなりたい、と何十年も考えてきたけど。

結局欲しいものってなんなんだ?という部分に気がついた。

『安心』だった。安全で、安心な感覚を得たいだけだった。

私が私で生きていることに安心したかったんだけど、何かを得ないと安心できないと思い込んでた。

でも、それは結局対価交換の世界。何かしないと何かは得られない。そうじゃなかった。まず、今この満足してない私でも安心で安全で守られてたってことだった。

やっぱり、子供の時の無条件に何しても私は私でいていいって感覚を育てることは本当に大事だし、それ以外大事なことはないと思う。

育たなかったとしても、もう自分で選べるんだから、ちゃんと自分で自分の望みを理解して、誰かのせいにしないで自分で選ぶこと。

ネガティブなことが起きたときに、ただそこに流されてぐすぐずしてないで、その奥にある本当の望みを汲み取って、それを叶える選択をすること。

ネガティブなことっていうのは簡単に言い訳に使えるけど、いい年こいた人間様なら分かってるはずだ。それはただの逃げなんだ。自分で自分を幸せにする努力が、本当の努力。

その場の感情に流されるのは超楽だけど、それはただの癖だから、私は最近その奥の望みを探す訓練をしている。そうして、私は『安心』が欲しいと気がついた。そしてその『安心』は自分にしか分からなくて、例えば誰かにとってはブランコを思い切り漕ぎ続けることだったり、お姫様みたいな格好をすることだったり、仕事をサボってただ海を見ることだったりするのかもしれない。夢みたいな壮大なものじゃなくて(子供に将来の夢はなに?って聞くのは虐待だと私は思っている)、他人から見たら埃みたいに見える小さな願い。その自分だけの安心を求めて、思う存分味わって満足していく積み重ねの先に、生活が作られていくんだと思う。願いは生活の後にあるものじゃなくて、先に叶えるものだった。

だから、ネガティブは悪いことじゃなくて、本当の私の望みが形を変えて出ているだけなのだ。

何十年もこびりついた癖を取るのはなかなか大変だし、なんか格好悪い…とかこんな考え方恥ずかしい…とか謎の声が聞こえてくるけど、根気よくやってこう。世界ってのは、皆のものでもあるし、自分だけのものでもあるんだなぁ。

 

この二人も、私の安心。