平凡日誌

Webショップ「平凡」店主の日々の記録です。

気持ちの良い秋晴れ

今日は休みだったので、お昼過ぎに歩いて郵便局に行った。

帰り道、なぜか「カレーうどんが食べたい」と思った。いつもなら、一人だしお金もったいないじゃん、と思って無視するが、最近心の声のままに行動する練習をしているので、近くにあった蕎麦屋に入りカレーうどんを注文した。

席についてカレーうどんを注文し前を見ると、テーブル席にお爺ちゃんお婆ちゃんとその娘という人達が座っていた。

頭も真っ白で体も小さくなったお爺ちゃんと、更に小さいお婆ちゃん。二人とも天麩羅蕎麦を頼んで食べていた。先に食べ終わったお爺ちゃんは、お婆ちゃんをずっと見ながら天つゆを分けてあげたり、なにやら話しかけてお世話している。とても優しい二人の背中。

私はもう半泣きでカレーうどんをすする。そんなだから麺が暴れて白シャツにカレーが飛ぶ。

心がカレーうどんを欲したのは、単にカレーうどんが食べたかった訳じゃなくて、この優しい風景を私に見せたかったからかも。

お金ってなんだろう、とよく考えるんだけど、結局はただの交換する道具でしかない。お金で一喜一憂したり、損得を感じたりするのはお金の額は全く関係なくて、ただ自分にその交換したものが合うのか合わなかったのか、それだけなんだと思う。

カレーうどんは揚げ餅をトッピングして980円だったけれど、二人の天麩羅蕎麦を食べる風景はいったいいくらに換算されるというんだろう。980円ていったいなんなんだろう。お財布からは確実に980円が無くなった。しかし、980円以上に豊かなものをもらったと感じるこの心はなんなんだろう。いったい、「100円=」で換算される確かな物なんてあるんだろうか。高い、安いって、なんだ?誰に教わった感覚基準なんだ?

それにしても、心の声にしたがうと思いもよらないような満たされる経験をする。小さなことから始めてるけど、これは確かな真実だと思う。