庭に野菜の苗を埋めたら鈴なりになっている。
実家は専業農家で畑もあったけど、祖母や母がやっていたので食べる専門だったし、あまり興味もなく深く考えずに今まで来た。
今年、野菜は世話しなくても育つのか検証を始めて、実際育った。今日なんて、一つの苗からピーマン6個採れた。まだまだなってる。
そして気付いた。
今まで料理といえば、あれを作りたいからあの野菜を買おう、という思考回路だった。しかし、ピーマンが勝手に6個も大きくなっている、となると、有無を言わさずピーマンを使うしかない。そうすると、ピーマンを使うには何を作ろう、と考える。
なんという思考の大逆転!
それに今日気がついて、なんか面白くなった。料理が苦手で食に対しての欲もない私には、ピーマンの為に何作ろう、の方が合ってる気がする。
人間の食欲より、何が作りたいか食べたいかより、ピーマン優先。何が食べたいかなんてどうだっていいんだ。ピーマンがどんどんできるから食べなければ、という人間後回しで選択肢のない感じが、物凄く清々しい。ピーマンあっての人間。ピーマンに生かされる人間。
あれを作りたいからわざわざ何かを買う、なんて、なんという欲望だろう。これがあるから何ができるだろう、という考え方の方が自分にはとてもしっくりきて落ち着く。
この思考の大逆転を味わえただけでも、庭に苗埋めてよかったなぁと思った。
よくよく考えると、これは創作に対する自分の在り方にも通じる気がしてきてとても面白い。